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火の七日間

巨神兵東京に現るを2日で5回くらい観た。

理由はたぶん、作品として面白いからとかではない。シンゴジを体験した今、特撮にそこまで思い入れがない自分にとってはシンゴジの方が普通に見て映像的に面白いし、CGとか実写とかどうでもいいし。

 

林原めぐみのナレーションのせいかもしれない

脚本が舞城王太郎であるせいかもしれない

その二点で語り尽くせるところは大きいかもしれない

 

でも、あえて紛うことなく語るとすれば、私がエヴァQと巨神兵を劇場で観たあの日から約3年とまでは言わないまでも2年以上は経ち、その間に舞城王太郎という人の知れる限りの、というよりは知るべく限りのことは知り、同時に色んな方向から良く言えば文学的なあらゆる物事に関する嗅覚を尖らせてきたからであり、悪く言えば何事もメタ化しもはや自分も他人も同じラインでしか見ることも語ることもできなくなった鈍感さを身に付けたからだと思う。っつーのは言い過ぎとして、明らかに尖った部分と鈍った部分はあります。それゆえであることは間違いない。

 

このように進歩だか退化だかよくわからん精神性と傍若無人っぷりを身に付けて損したこともあれば得したこともあるし、つーか物事をあまり損得で考えなくなったし、なんか良くない感じは一見するとするかもしれないけれど、私の人生は少なくともそんなに前より悪くない。状況悪くはなっている感じがするが、悪くなっていっているのは自分がどうしようとしてもどうしようもできない部分ばかりで、自分がどうにかできる範囲のことは良い方向にしか動いていっていない、たぶん。

あとは悪いものに引きずられないように天を仰いで祈るだけ。

 

 

で、天を仰いで祈るのは性に合わないから、クリスマスは一年ぶりに教会に行くことにする。

クリスチャンでもなんでもないけど、教会は嫌いじゃないし、なのに私がイマイチ溶け込めないのは「宗教」とかそういう人が悪いようにも良いようにも解釈しうる概念が持つところの余剰にあるし、この世は余剰なくして成り立たないモノだらけなのに何を言ってるんだとは我ながら思うが、あいにく性格上余剰は気に入らない。何事も漏れなくダブりなく定義されていてほしいというわがままがある。未定の物事は未定のものとしてしか扱えない不寛容さがある。だから今年は聖イグナチオ教会に行きます。たぶん。待ってろ母校!

 

 

ヤベー何を書こうとしたか忘れたわ。

ああそうだ、巨神兵東京に現るはサイコーだってこと、ただし人に勧めるもんじゃねーってこと、180度に設定したアイロンによる火傷の跡が半年以上残ってるってことはつまりそうやっていつまでも若いつもりで歳を取ると取り返しのつかない傷を自分だけじゃなく周りにもつけていくのかもしれないって気付いたこと、iPhoneではCtrl+Zが使えないってこと、何もかもこのままじゃいられねーんだなって気付いたってことを書きたかったんだけどもう眠いので詳しくはググってください。何を。人生を!

 

 

またクリスマス頃に教会巡りをした報告でも更新します。じゃあな!